スピリチュアルが普通になってきた現代では、
カタカムナ文字を知っている方もいらっしゃるでしょう。
知らなかったという方のために、簡単な説明をウィキペディアから引用しておきます。
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カタカムナ文献の本文は、独自の図形文字が渦巻き状に並んだ、80首のウタヒ(歌)である。
古代日本の科学技術や哲学を記した文書だと一部研究者は主張している。
戦後、各地の電位測定調査をしていた楢崎皐月(ならさきこうげつ)が自らの手による写本を突然発表したことで、存在が世に知られるようになった。
1949年に楢崎が六甲山系の金鳥山付近で64日間にわたる大地電気測定の研究を行っていた折、猟師の姿をした平十字(ひらとうじ)という人物から調査用に設置した機材について苦情を受けた。楢崎が苦情に応じて直ちに機器を取りはずすと平十字から感謝され、お礼代わりに、平十字の父親が宮司をしていたカタカムナという神社のご神体であった巻物の書写を許されたという。これが今に伝わるカタカムナ文献であるという。
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しかし、巻物自体が平十字という人物も見つからなくなってしまい、証拠がないため、公式には認められていないのですが、この歌の意味がとても科学的で今の時代には必要なものではないだろうかと見直されています。
図形文字の読み方
よく唱えられる5首、6首、7首の意味を把握しながら唱えると、
意識の焦点が言葉と一致すると思います。
5首
「ヒフミヨイ マワリテメクル ㇺナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ」
ヒフミヨイ: 1,2,3,4,5,(現象界)
マワリテメクル: 回りて巡る
ㇺナヤコト: 6,7,8,9,10(潜象界)
アウノスヘシレ: 合うの術知れ
カタチサキ: 形割き
6首
ソラニモロケセ:空間にたくさんある
ユヱヌオヲ:結えぬ尾を
ハエツヰネホン カタカムナ:カタカムナを唱えることは、物質中の電子に媒体となる光子をたくさん空間に生み出せる
(この部分が超ひも理論といった科学的な作用を説いたところで、すべての物質は原子、電子、素粒子といったものが電磁気力でつながり動いている。唱えることで、物質界に影響を与え、電磁気力に作用して、形を変えたり新たなものを生み出せる。)
7首
「マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カミムスヒ ミスマルノタマ」
マカタマノ:勾玉の(精神の核)
アマノミナカヌシ:宇宙を造った神
タカミムスヒ:天を造った神
カミムスヒ:地を造った神
ミスマルノタマ:体の周りにできるトーラス
(球体のように囲み、その中にエネルギーの流れがある)
唱えたときに、体の周りに高次元の世界を目に見える世界に下ろすことができる。
といった意味があり、日本語には言霊があると昔からいわれているのは、
言葉の波動に科学的な働きがあることを古代の人たちは知っていたのかもしれません。
「形を変えたり新たなものを生み出せる」作用には、決まった方向性を持たないので、
どのように変化させ、生み出すのかは、唱える人の精神が関わってくるのでしょう。
トーラスについて、以前にも紹介したことのあるドキュメンタリーですが、
唱えるときにイメージできると効果的だとおもうので、ピンと来ない方は、
下記の動画の11:11のところから参考にしてみてください。
「引き寄せの法則」などもそうですが、ポジティブ、ネガティブのどちらにも等しく作用するという点では、同じように意識の持ち方になりますね。
赤ちゃんや子供は、天界から来たばかりなので、物質界になじんでいないため、
光を感じやすいのだといわれます。
2歳くらいまでは、天使の光が見えたりするのでしょう。
理屈ではなく、素直に反応します。
子供たちは、天界に近い先輩でもあると感じます。
あなたは、子供たちを尊敬していますか?
小さい子供は、肉体的に未熟なところがあるけれど、
神性さには年齢がないと思うのです。
知識は少ないかもしれないけれど、言葉にできない感覚の世界では
すべての人が同等なのだと感じます。
しかし、少しずつ社会のルールに従わされるために、見えない世界の感覚を無くしていきます。
一度忘れて、また思い出す旅に出ていきます。
社会や親、他の大人たちが「○○しなければいけない」と決めたルールが正しいとは限りません。
それでも、いい子でいるために従って育った子は、大人になると子供たちに同じように注意します。
国や環境によって、正しいという事柄も異なっていきます。
その違いを体験すると、日本の良いところ変なところが見えてきます。
日本の社会で一般的な人からすると、わたしの感覚は時々変だと思われることがあるかもしれませんが・・・
今、社会が大きく変わろうとしているこの機会に、本当に必要なことを見直すことが、高次元に結びつく現実をつくるのではないかと思います。
わたし自身、自分には子供がいないのですが、なぜか子供心が分かってしまいます。
知的障害のある弟がいて、ずっと純粋な子供の精神を持ったままだからなのかもしれません。
世の中を見ていると、そんなことでなぜ叱るのだろう?と思うことがあります。
大人の都合で動かそうとしていないでしょうか?
わたしは、弟を通じて気づいたことがありました。
まだ若い頃、弟を幸せにしてあげるためには、健常者と同じように何でもできる方向に進ませることだと思っていたことがあります。
わたしが考える弟の幸せと、なかなかそうならない現実で戦ってしまうことにつかれ疲れはてたとき、弟を変えようとするのを辞めました。
弟の良さを感じる機会が多くなり、弟の気持ちを理解してみようと思ってから、そのままでいいんだと思えたとき、弟自身が変わりはじめました。
障害者であることに変わりはないのですが、普通のちょっとしたことでも「俺は幸せね」と言います。
自分の気持ちを分かってくれていると思う人を相手にするとき、自然に相手の気持ちも分かろうとします。
これは、子供でも大人でも同じだと思うのです。
あなたを取り巻くトーラスを光輝くエネルギーで満たすように、
カタカムナを利用してみるのもよいと思います。