10月11日に母が永眠しました。
90歳の老衰でした。
その日の午前中に面会に行き、眠った状態で話をすることはできませんでしたが、顔を見ることができました。
夕方の巡回の時間に眠ったまま息が無かったことが分かりました。
苦しむことなく、穏やかにあちらの世界に帰りました。
魂は永遠に存在し続けるということを学んできて、こちらに生まれるか、あちらに生まれるか、という生まれ通しなのだと理解できました。
長生きでもあったので、悲しいというよりも、母との色々な経験から学んだこと、母への感謝で涙が流れます。
葬儀の段取りも完了し、弟の対応や必要なものを用意するための時間が取れました。
新型コロナの影響で、遺族と直接会えない方も多いようですが、施設から通院の付き添いなどもあり、幸いにも何度か会う機会がありました。
数週間前から施設での食事もできなくなり、点滴を受けていて、先月の誕生日に面会したときには、聞き取れないくらいの声でしたが、少し話もできました。
後日、弟も面会したときには、眠っていて一瞬だけ目を開けたそうです。
病院で入院生活を送るよりも、老健施設で看護師さんたちに介助されながら静かに過ごす方が良いと思い、看取り看護をお願いしました。
練馬区平和台にある老健施設で、働く方々の雰囲気も良く、お部屋も廊下も広くてとても綺麗な施設だったので、快適に過ごせたと思います。
時折、送られて来る母の写真には飾り付けのデザインがされていて、心温まる気づかいに感謝しています。
みなさんにおすすめしたい施設です。
生まれ変わるときに、同じようなメンバーが役を変え転生するといいます。
アセンションするこの機会には、転生するグループはいっしょにアセンションするのか気になるところです。
肉体を持たずにアセンションする魂もあるということなので、新地球で生まれてくる可能性もありますね。
きっと今は父が迎えに来てくれていることと思います。
すでにアストラル界へ戻ったつながりのある魂たちが母を迎えているのでしょう。
母の魂が話しかけてくれていることが感じられます。
わたしとそっくりな人があちらの世界にいて、「あらっ、なんだか死んだ気がしないね~」と笑っている声が聞こえてきます。
どこかで聞いた話では、その人本人が一番いいと思う年齢の姿でいるらしいです。
しかし、何度も転生しているし、過去世も未来世も同時に存在すると考えると複雑になります。
これは次元上昇して5次元に移行したら見えてくるものなのでしょう。
今日の手帳の写し書きは、「愛」というものを理解することができそうな内容です。
多くの人がやってしまいがちな愛の勘違いや、人間関係のパラドックスについて学び、習得していきたいと思います。
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情熱とは、「こう在る」ということから「行為」への転換を愛することである。
創造というエンジンの燃料である。
情熱は思いを経験に変える。
決して情熱を否定してはいけない。
悟りとは、結果への執着を否定することだ。
期待なしに人生を生きること。
具体的な結果を必要とせずに生きることーーーこれが自由である。
誰かを愛するのはいいのだが、相手からも愛が返ってきてほしいと思う。
これは情熱ではない。
期待だ。
これが人間の不幸の最大の原因。
関心を向けることで対象を実在させる。
〈マスター〉たちは何を実在させるかを選ぼうとする。
創造の道具を使うこと。
はっきりと意識して、最高の意図をもって使うことである。
それが「魂のゲームをする」ということだ。
ほかの人間の魂に責任はないこと。
すべての魂がそれぞれの運命を選ぶべきだし、選んでいるのだということが理解できる。
自分に頼るようにしむけた人たちの欲求を無視するのも良くない。
彼らを自立させること、できるだけ早く、完全にあなたなしでやっていけるようにする。
親として、配偶者として、愛し愛される者として、あなたの愛を相手を縛るための接着剤にしてはならない。
あなたの愛によって、愛するものを世界に押し出しなさい。
彼らが自分自身を充分に体験できるようにしむけなさい。
ロマンチックな人間関係、愛情関係が失敗するとき、(望んだとおりにならないという意味での失敗)その原因は、そもそも間違った理由で関係を結んだことにある。
最初に関係を結んだ理由では関係を続けられなくなったとき、ほとんどの人は相手との関係で何を与えられるのだろうかと考えるのではなく、何を得られるだろうかと考えて関係を結ぶ。
人間関係の目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することであって、相手のどんな部分を把握しつかまえておきたいのかを決めることではない。
目的はひとつしかない。
それは、本当の自分は何者であるかを決め、本当の自分になることである。
特別なだれかに会うまでは「何者でもない」と思うのは真実ではない。
そう考えると、相手に本当の自分とは違うあらゆることを強いるという圧力をかけてしまう。
相手に満たしてもらうことではなく、本当の自分という存在をまるごと分かち合う相手を持つことだ。
本当の自分を充分に経験するためなら、特別の相手を必要としない。
ところが他者がいなければあなたは何者でもない。
人間関係のパラドックスがある。
意味のある生き方をするためには、深い理解と大きな意志が必要だ。
真の試練とは、あなたがあなた自身への思いにどこまで応えられるかということなのだ。
人間関係が神聖なのは、自分を創造する最大の機会を与えてくれる。
逆に、他者との経験の為の最大の機会だと考えると失敗する。
人間関係では、それぞれが自分のことを考えるべきだ。
それぞれが他者について心を煩わせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。
相手ばかりに気持ちを向けること、相手にとらわれることが失敗の原因である。
〈マスター〉は相手が何者で何をし、何を持ち、何を言い、何を欲しているのかはどうでもいいことを知っている。
大事なのは、その関係の中で「あなたが何者であるか」だけである。
自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。
相手への愛情を通じて自分への愛情を求めるという過ちを犯している。
愛してくれる他者がいないから、自分を憎んでいる人が多い。
「愛の病」だ。
実は愛されているのに、それはどうでもよくなる。
満たされない。
彼らは相手を信じない。
本当に自分を愛しているのだろうかと、くよくよ考える。
愛情を証明しろと迫りはじめる。
相手は愛していることを証明しなければならなくなる。
相手は本当の自分とは違うふるまいをしなければならなくなるかもしれない。
ようやく愛されていると信じても、たちまちいつまで愛してくれるだろうかと心配しはじめる。
愛情をつなぎとめておくために、本当の自分とは違うふるまいを始める。
二人とも自分を見失ってしまう。
まず、自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。
心から純粋に自分を恋していなければ、決して心から純粋に誰かを愛することはできない。
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高次元存在たちのメッセージはみんな同じなので、迷うことがなくなります。
自分自身の中に答えがあり、自分で自分に与えているものが反映された世界を体験している、ということです。
コントラストのあるこの世界だから知ることが出来るものであり、だからこそパラドックスになるわけです。
近々やって来る大きなイベントによって、本当の自分を探求することがあたりまえになる時代になるのでしょう。
新時代の人間関係が楽しみです。
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シノケンさんも自分自身を見つけているようです。
おもしろい講義になってきました。
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