先週までのニット作品展が終了し、ブログを仕上げる時間もできました。
昨年の個展は小物中心でしたが、今回はネックウォーマーやポンチョ、ショール、セーターなどの大物中心でした。
自分の作りたいもので自分の意識の力を完全に発揮できたと思います。
おかげで前回を超える売り上げと高評価のコメントをいただくことが出来ました。
魅力のあるものなら、毛糸の分量を使うアイテムも需要があることを実感しました。
ご試着いただきながら楽しい会話で盛り上がり、来年1月にも最終冬物の個展を開催することになりました。
詳細は決まり次第お知らせしたいと思います。
スピリチュアルな話も交えながらのニット教室もリクエストがあり、今後の活動が楽しくなりそうです。
バシャールが言うように、いくつものタイムラインがあり、自身の波動に合った現実へ毎瞬移動しているということを意識できると、自分の周波数を上げることが鍵になることが分かります。
糸選びからアイデアが降って来ることまで、ニットのガイドである指導霊さんにおまかせする意識でいます。
未来を見通せるのは、自身のハイアーセルフと各スピリチュアルガイドさんであり、肉体の「わたし」には分かりません。
わたしの個性を発揮している未来のタイムラインにシフトできるように、ガイドさんが知らせている直感に感覚を合わせていきます。
成功している未来の現実に導いもらえるように、ハートをクリアーにして直感をうまく感じ取れるようにするだけでいいのです。
たくさんの人がわたしのニット作品を通じて心がワクワクし、その波動をきっかけに人生が好転していく道具となればうれしい限りです。
では、久しぶりに手帳の内容をご紹介していきます。
*************************************
どんな交流も「はじまりが始まった」瞬間に「終わりが始まる」
そのことを深く理解してはじめて、すべての瞬間の、そして、人生そのものの貴重さが充分に分かるだろう。
どの瞬間も経験するのは、これが最後だと思えば、計り知れないほど重いものになるだろう。
何かを深く見つめれば、相手を見抜くことになる。
何かを深く考えれば、それを見抜くことになる。
そうすれば幻想は消え、真の姿が見えてくる。
そのとき、はじめて楽しむことができる。
喜びを加えることが出来る。
(楽しむとは、相手に喜びを加える en-joy ということだ)
幻想さえ楽しめる。(幻想だと分かれば)
本物だと考えるから苦しみfが生じる。
何かをしっかりと持つまでは、それを手放すことはできない。
何かを捨てるには、まず、所有しなければならない。
受け入れないものは、変えることができない。
悟りは「ありのまま」を批判せず、受け入れることから始まる。
「ありのまま」は、つねに変化しうる。
変わらないのは「存在しないもの」だけだ。
ありのままを変えたければ、それを引き受けなさい。
否定してはいけない。
否定することは宣言することだ。
宣言するとは、創造することだ。
相手を再造像してしまう。
否定したものはコントロールできない。
もっと迅速に進化するも道は、ないものではなく、あるものを認めることから始まる。
人類にとって良いことか悪いことかを知る物差しがほしいなら、
「だれもがそれをするようになったら、どうなるか」
と考えてみるといい。
沈黙は秘密を蔵している。
だから最も美しいのは、沈黙の音だ。
それが魂の歌だ。
魂には様々な歌い方がある。
悟りに達すれば、あるいは、間欠的にでも経験すれば、世間のただなかに居ても騒音は聞こえなくなり、気も散らなくなる。
人生のすべては瞑想であり、神性に思いをいたす場所である。
人生を瞑想に、人生の出来事のすべてを瞑想しなさい。
目覚めて歩きなさい。
なりゆくという経験を楽しむことだ。
身体のすべての細胞に精神はある。
精神と呼ばれているのは、エネルギーだ。
エネルギーとは思考だよ。
高いチャクラに引き上げ、人間全体をつくりあげている他のエネルギーと結びつけていない性的エネルギーだけではない。
全体としてのあなたはすばらしいが、一部だけではすばらしいとは言えない。
魂があなたを包んでいる。
「自分なんかまだまだ」とか、あれこれ欠陥があるとか、何にしても不十分だという割合を演じつつ行う行為はすべて否定である。
思考だけでなく、言葉だけでなく、行為における否定である。
ほんとうの自分についての最も偉大なヴィジョンの最も壮大なヴァージョンだけで、自分の人生を表現しなさい。
あなたの最も偉大なヴィジョンとは何だろうね。
いつの日か、自分は偉大な師になるということではなかったか?
「以前」に「べつの人生」を生きた者もある。
未来の生もある。
現在、地球に住んでいるべつのカタチの生も包んでいる。
そういう者に出出会った、ら親近感をいだく。
「過去の生」をともに過ごしたのかもしれない。
同じ物質的なかたちで、あるいは、同じ時空のなかの二つのかたちとして。
自分は「過去の生」を一緒に過ごしたと直感したのに、相手は感じていないとき、べつの生を一緒に過ごしている。
「未来の生」だ。
「前に会った」と感じても、その感じがさほど強くない場合は、「時」は同じだったが、同じ体ではなかったかもしれない。
ある人を他にくらべて特別だと感じたとき、あなたがたは他のひとたちを裏切ったように感じる。
それは真の愛を表現しているのではない。
愛の自然な表現を妨げようとするのは、自由の否定だよ。
したがって、魂そのものの否定だ。
魂はつねに制約に反抗するということだ。
あらゆる種類の制約に反抗する。
結婚という経験にてらして、わたしとは何者か、わたしたちとは何者か、ということだ。
不安はほんとうのあなたではない。
不安はあなたのように見えるが、偽りの証だ。
不安は愛の対局で、ほんとうの自分を経験的に知るために現実のなかで創り出したものだ。
神ー生命ー愛ー無制限ー永遠ー自由
このどれにもあてはまらないものは、ほかのどれでもない。
*************************************
心のなかにカチカチ音のするものが完全に無くなったとき、沈黙の音が感じられるのではないかと思います。
「わたし」という自我(エゴ)が心を支配しているとき、あの人がこうした、こうしない、こう言った、などと腹を立てたりイライラしたりするでしょう。
心がカチカチ言う因子を持っているから腹を立てたり不安になったりします。
その因子を取り除くために、お寺や神社に行ったり、説法を聞いたり、占いやカウンセラーに相談したりします。
だれかが腹を立てているとき、その人自身のエゴに苦しめられているだけなのです。
他人は関係しません。
相手に悪意があって何かをしてきても、自分の心が沈黙の音を奏でていれば、ただ通り過ぎるだけです。
禅問答に「片手で拍手」という内容の説法があります。
「おまえの出している手を引っ込めろ!」と師は言います。
「おまえの手が出ているから、何かが降ってくるたびにパチパチ音をたてるのだ。
手を引っ込めれば、バカッタレが飛んでこようが、くそったれが来ようが、おまえの心に何の音もしやしない。」
「ハートの音を観察する」というのがナビゲーションになります。
本来の純粋な魂に行き着く流れに沿っているとき、リラックスしていてワクワクした波動で楽しい感覚でいます。
何かをしていてもエネルギーに満たされながら、疲れを感じることがありません。
肉体的な疲労は寝れば無くなります。
反対に、流れに逆らっているとき、カチカチ音がしてハートは疲れてしまいます。
このようなときに、心のリセットとしてスピリチュアルマスターたちの本を読んだり、お参りに行ったりカウンセリングを受けたりします。
すべての存在に宇宙のソースからの無限の愛のエネルギーが降り注いでいます。
相手に喜びを加える en-joy の状態になるように、ハートに宇宙のソースからの無限のエネルギーが注がれていることを遮るものを手放すだけでいいのです。
*************************************
タイムラインは変化しているようですが、未来は光が勝利していることに間違いありません。
闇側は不安になるように仕向けてくると思いますが、うまくスルーすれば大丈夫なのです。
参考動画です。
俗っぽいと思える占い界でも、ゲッターズさんのお話は説法のようでもあります。
参考にしてみてください。