カエデに花が咲いていることにはじめて気づきました。
公園までの川沿いの木々に挨拶しながらサイクリングしているとき、
「緑があると癒されるのはなんでなんだろう・・・」と心でつぶやくと、
「あなたの味方だよ」「みんなの味方だからだよ」と返事がかえってきました。
そうか~、良い悪いというジャッジなしに、無条件にそれぞれの心をそのまま感じてあげられるからなんだ。
量子的にみたら、すべての人の心が放つフォトンを感じているってことだ。
すべての存在を応援するような無条件の愛の波動・・・
なんだか心に沁みて涙がでるな~。
否定的な現実があると、人間はたいがい、誰のせいだとか、誰が悪いとかジャッジする癖がある。
自然の存在は、その人のそのままの心の揺れを感じてその人の気持ちを察しているんだね。
昨日言われた「神の耳、神の目」に通じる。
今日はお寺に行くまでにも大きなことに気づかされました。
朝から雨で公園では数人の人とすれ違ったくらいです。
一通りご挨拶が済んで、空海さまの前に立つといきなり言葉が飛んできました。
「何を待っている」
「いつなのか、まだなのか、と待てば、永遠に待つことになるぞ」
わたしの心をお見通しのようです。
そう言われたので、個人的なことも質問してみました。
「安心しなさい。そのときは来る。」
これまでの事や解決したいことに対して、どのように捉えればよいのでしょうか。
「忍耐、勇気」
「喜ばしいことへの望みを現実に体験するまで、叶ったときの喜びで心を揺らし続けるという忍耐だ。
相手は勇気を学んでいる。」
忍耐と勇気はセットになっている感じがしました。
「安心していなさい。安らかな心でいることだ。」
そして、帰り路、「いつ見ても、しっかりした太さの木の根元だな~」と心でつぶやくと、
「信じる力」「信じる力」「信じる力」「信じる力」
とあちこちの木から合唱のように聞こえてきました。
おとぎの国の木みたい!
自転車で走りながら、忍耐と勇気について思い巡らすと、ひとりさんも「忍耐」については苦しみを耐えるという意味ではなく、楽しみが必ずやってくることを信じ続けることを耐える、というようなことを言っていたのを思い出しました。
自分の作品を作っているときも、「忍耐」している。
パイオニアといわれる人たちも、反対されても「絶対にできるはず!」という強い信念で今までに無い新しいものを完成させてきたのも、この「忍耐」の力だ。
「忍耐」と「勇気」はやはりセットなんだと感じます。
わたしが忍耐、相手が勇気、といわれたけれど、勇気を学んだわたしには「忍耐」が必要で、忍耐を得た相手には「勇気」を学んでいるということなのか・・・
そうだ、「大切な心の揺れがあったら、道具箱にしまっておく」とも言ってたっけ。
これが「忍耐」につながることにもなるのかな。
毎日、予測できない内容をご指導してくださるので、わたしの心を空っぽにして空海さまの前に立つことができます。
ここまでのことを復習しておかないといけない気がしてきました。
心をゆるめて、身体をゆるめて、自分を大切にする。
神の耳、神の目、神の口で自分を整える。
忍耐と勇気には信じる力。
悩んでいた昔のわたしと比べれば、以前より自分を愛し、大切にすることができるようになりました。
こうした過程もすべて計画通りなのでしょう。
日に日に楽しみになってきます。
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地球周辺の環境が整ってきたと感じる報告がありました。
闇の支配が解かれたということでしょうか。
やはり、月の内部は人工的につくられた「マスコン」があり、
それを今はバシャールたちが共鳴受容器として起動している!というビッグニュースです。