YOLオラクル

YOLオラクルブックを通じて、あなたが自身の魂の聖なるガイドとつながりを感じるための道案内ができることを目指します。

心の揺れを体感する:文字で読むだけでは悟れない

入り口の門の彫刻

今日は、狛犬と牙のある像のような生き物の彫刻に目が行きました。

本堂の入り口には左右に天女さまの彫刻

20年くらい来ているのですが、本堂の説明をじっくり読むことができました。

至る所にすばらしいレリーフがあります。

本堂の中もすばらしい彫刻が施されているのですが、その空間で写真を撮る気持ちにはなれませんでした。

実際に肉眼で見るのがよいと思います。

 

 

今日は晴れ渡っていて気持ちの良いお天気です。

川沿いの桜の木々が、いつもは「桜の樹」という集団として感じていたのが、今日はひとつひとつの樹の個性を感じました。

わたしたち人間がひとりひとり個々の意識を持っているように、人格のような違いを感じました。

 

雨や曇りの日が続いていたので、植物たちも気持ちよさそうです。

キラキラした日差しがあると、公園の風景も違って見えます。

 

境内の木々にハグして高波動の振動でゆらしてもらい、本堂へ。

今日もご指導よろしくお願いいたします。

 

両手が広がり、不思議なジェスチャーが始まりました。

説明が難しい動きで、ゆったりと気功の舞を踊っているようです。

 

「言葉の文字で読んだだけでは悟れない。

 心の体感がなければ真に知ることができない。

 世にはたくさんの本があるが、読んで悟ことができるなら、みんな悟るはずだ。

 心に湧いて来る感情、想い、すべての心の揺れを味わうことだ。

 否定的な揺れを味わってはいけないと思っている。

 それに反対し、避けようとする。

 あなたの心の引き出しにいれて見えないようにするが、あなたは持ち続けてしまう。

 『人間のこの世では、こういう揺れが起きるのだな』と体感し知ったなら、それを感じた自分を裁く必要などない。

 ただ「知る」という体験なだけだ。

 知ったことで根ができた。

 他人も同じように知る体験をしているが、他人を裁く気持ちにはならないだろう。

 ある心の揺れ方に対して自分を裁くときに他人を裁いているだけだ。」

 

そして、この数日同じように、両手が腰回りをしっかり押さえる動きになりました。

腰をすえる、というのは自分に大切だと思うものを選択し、決意するということだという意味・・・

 

「心の揺れ、心がどのように揺れても揺らされないのが樹の幹だ。

 自分の心が自由に揺れることをゆるす。

 心の揺れによって、こうあろうとする自分を選択できる。

 他人の心の揺れもゆるすことができる。

 他人も変わる。」

 

心の揺れに「わたし」という意識のすべてが揺らされていたから人生が暗く見えたということ・・・

 

心の揺れ、問題の種によって、すべての存在が成長できるということを理解していれば、他人の否定的な行いがあっても、その人が変化し成長したときの姿も想像できます。

いまの自分が過去の自分より成長しているように、変化した他人を想うことができます。

自分と他人がしっかりした樹になるまでが『忍耐』。

どうなるか分からない未知の世界に踏み出すのが『勇気』。

楽しみで忍耐し、未来への楽しみの波動が溢れて勇気になるように感じます。

不安があれば忍耐が長く苦しいものに思え、自己否定があれば勇気になる気が溢れない。

自分と他人を信じることができないと、忍耐も勇気も起こせない。

忍耐する、勇気を使う、は自分のためだけでなく、他人への思いやり、など、いろいろと思いが湧いてきました。

 

内容が繊細な部分に入ってきて、記事をうまく書けるかな、と思ったとき、

「助けるから大丈夫だ」

と言ってくださいました。

 

わたしもたくさんの本を読んできました。

たいてい人生の問題を解決したいという暗闇にいるとき、救いの本を求めていました。

不快な心の揺れをなんとか失くして、快適にしようと努力していました。

それは闘っているということなんですね。

この闘った経験の心の揺れも必要だったのだと思います。

「言葉の文字より体験」という点で、真の体験から発した言葉は異なるように思います。

「はじめに言葉ありき」という意味は、ことばの音の振動なのではないかと思いました。

「音の振動を体感する」というのと、「文字を目で見る」という違いなのかもしれません。

 

色々な揺れを体験してあなたの樹が大きくなる。

順調すぎて大きな問題も悩みもない、という人がいたら、「あら、かわいそうに」と言いたくなりますね。

でも、そんな人はいないかもしれません。

必ず挑戦するものが与えられるのでしょう。

否定的なものの中に幸せの種が隠れていると思うと、「ゴミを拾うと幸せがやってくる」という神様が見える子供たちチャンネルの動画を思い出しました。

最近の動画では、ゴミをみつけると取り合うように駆け出して拾っていることに笑ってしまいます。

幸せの取り合いです。

わたしも今日はたくさんゴミ(幸せ)を拾いました。

これからどんなことがあるか楽しみです。

 

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「許す」とは「心を開く」こと。

気づいて変わることに心を開くということが、今日の空海さまのお話にも共通していると思いました。

 

「のっこり」が分からなかったので検索すると、

「のっこり(副詞)のんきに落ち着いているさまを表す語」

「のっこり(副詞)のんきで無頓着なさな。のほほんと」

  • にこにこ ⇒ にっこり
  • ほかほか ⇒ ほっこり
  • ひょこひょこ ⇒ ひょっこり
  • のこのこ ⇒ のっこり

などと載っていました。

「のっこり」っていいですね。

詳細はこちら

jouhou123.net