川沿いの道には白いお花が満開です。
今日も風もなく穏やかで、水面が鏡のように周りの自然を写していました。
可愛いピンク色の花が少し色が褪せて散り始めていました。
残念だな、って思ってしまうのは人間だけなのかも。
自然は思わないのだろうな。
花が咲いて、散った後に実ができるのだから、咲き終わるのも良いことなのだ。
お寺近くの林の中で、その区間を見守っているような大きな樹があります。
「見守り役みたいね」とつぶやくと、
「そうだよ、まわりのみんなが元気に成長できるように気を配っているんだ」
会社の課長さん、部長さんって感じかな?
でも、ここがダメだ、とか注意するのではなくて、困ったことがないのか、助けることはないのかと気を配っているのが見守り役・・・
そんな上司だったら、いいチームワークで仕事ができるだろうな・・・
などと思いました。
心は色々に揺れます。
弟の薬の飲みすぎ問題とか、いままでの人生の出来事が心を過ります。
お寺の境内の樹をハグするのが最近の日課となりました。
大きな樹にわたしがハグされているという方が正しいのかもしれません。
樹の純粋エネルギーで浄化してもらっている感じです。
では、今日のご指導内容にいきましょう。
「思い出す不快な心の揺れというのは、自分自身で風を起こしている。
過去の出来事を思い出し、相手や自分をジャッジしているとき、自分の心に風を吹かせている。
多くの者が、その出来事や相手が不快な風を起こしていると思っている。
自分で吹かせた風だと分かれば、風は止む。」
そうか!自分で風をつくっているわけだ。
過去の出来事をぐるぐる思い出すってことは、なにか解決していない想いから?
自分で起こしていない風は・・・魂の風?
「直感は光だ。
心に光が射す。」
ひらめきがやって来た時、たしかにピカッとアイデアが降ってきた感じがします。
過去のいい思い出が湧いたときには、暖かい陽射しが心に降り注いだ感じがします。
魂の計画で揺らされる風って起きるのだろうか・・・
複雑に感じてしまうから、いまは自分の風に気づくことが課題なのかな。
「一度に一つずつだ」
チャクラを整えるような動きをして、また今日も腰回りを強く下に向かって押さえられました。
「自分を大事にせえよ」と帰り際に聞こえてきました。
周りの出来事によって、心が揺れ、揺れるままに感じ味わい、知るという体験で根ができる。
過去の想いで風を起こしている。
過去に意識が向いているなら「いま」に居ないということ。
最初に言われた「体をゆるめて、心をゆるめて、今に居る」をすればいいということですね。
常に、これまでの教えを実践することなんだと思いました。
帰り道、樹は自分で風をつくらないな、と思いました。
人が樹に話したことをセコイアの樹が宇宙に届けていると言っていましたから、量子物理学の視点で考えると、人間の感情のフォトンは感じることができて、そのフォトンが存在しているということは樹にも分かることになります。
まだまだ知りたいことが出てきます。
おもしろくなってきました。