最近、いままで自分なりに探求して学んできた精神世界のこと宇宙の真理について、別々の角度で観てきたものが重なり合って、瞑想するなかで、その深い意味が理解できることがあります。
平和や幸福が何なのかを考える知恵が「哲学」ですが、知りたいという欲求から精神世界の旅に出ます。
色々な旅をしてきました。
その中で、インドの聖地と呼ばれている地域に行き、たくさんの修行者たちが滞在しているアシュラムに1か月くらい滞在したとき、「スピリチュアル界の光と闇」があるということを感じました。
わたしは勝手に、聖なる場所には神聖さだけを感じると思っていました。
神聖なはずのひとのあからさまなエゴが見えたとき、ほんとうに驚きました。
聖なる修行場でも派閥があったり、幸せでなさそうな波動を発している指導的な立場のひともいました。
遠くの土地、インドの聖地にまで来て「俗世間と同じだ」と知りました。
スピリチュアルな欲、スピリチュアルなエゴが課題になっていることがあるという世界です。
それは、日本でも世界中のスピリチュアルな世界にあるのです。
だれでも探求していく過程で通る地点、学ぶ機会があるのだと思います。
俗世間の泥の中の光と影から、泥の中から抜け出して泥を洗い流し、次に、大空を眺めることのできる神聖な空気の中にある光と影を体験します。
それぞれの魂が、それぞれの課題を持って生まれてきています。
肉体の状態も精神の器の大きさも異なっていて、それぞれに違った個性があり、同じでなくていいのです。
個性を表現し、自分自身を楽しむことが共通する魂の課題であれば、いまの自分を変えなければいけない、という感覚はなんだろうかと思いはじめました。
○○でなければならない、という考えを手放してから、昔感じていたようなストレスを感じることも無くなりました。
身体がバレリーナのように柔軟でなくても、体型がモデルのようにすばらしいバランスでなくても、他の人が関心するほど歌が上手くなくても、なにかできないことがあっても、何も問題など感じる必要がないと思えるのです。
今のこのままの自分で楽しく情熱を追いかけることが、ストレス発散ともいえます。
情熱を感じることができないことがストレスです。
今回書き出した内容の中で、20年前には感じられなかった深い意味が、いまやっと分かったことがあります。
あなたがなろうとしているのは、いまのあなただ。
あなたが行き着こうとしているのは、いまのあなただ。
仏教の世界で「〇」を描いて、これを表現するのを見たことがあるひとも多いと思います。
探求しはじめた頃のわたしは、聖者といわれるひとたちの形と俗世間の生活の間で、自分がどのような生き方をしたらいいのか理解しきれませんでした。
手帳の内容を再読していくうちに、わたしが旅してきた精神世界のたどってきた道を振り返り、出発した時の自分とはまったく違った心の周波数であるけれど、自分の生まれ持った個性や体型は同じままです。
魂が安寧を感じる精神の住処、それぞれに到着する環境は、異なっていていいのだと思います。
ただ、調和、平和、中庸、光と影の融合、といった感覚が共通しているのだと感じます。
神社仏閣に関わる環境の中で、光と影を学ぶのか、それ以外の場所で光と影を学ぶのか、という違いはありますが、結局のところ、自身の魂の計画に沿って体験し、今世で知るときに知り、悟ときに悟るようになっているのでしょう。
そして、手帳の最初の書き出し文を思い出しました。
誰でも準備ができたとき、真実へと導かれる。
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宇宙の車輪のどこでも好きな場所に移動できる。
好きなところへ「戻れる」し、べつの次元、現実、太陽系、文明を選んで移ることもできる。
どこにも行き着けないし、何もすることはない。
いまのあなた以外にあるべき「存在」はない。
じつは旅などないのだよ。
あなたがなろうとしているのは、いまのあなただ。
あなたが行き着こうとしているのは、いまのあなただ。
《マスター》はそれを知っているからあがくのをやめる。
エクスタシーといえども、それがないときがなければ存在できない。
霊的なエクスタシーだって、肉体的なエクスタシーと同じなんだよ。
《マスター》は喜びより下の状態にいることはない。
エクスタシーが存在すると知っているだけで喜びの中にいられる。
超能力者が見たのは、どの「未来」かということだ。
いくつものヴァージョンがあるのだから。
あるヴァージョンでは、大天変地居異が起こる。
あるヴァージョンではすでに起こっている。
かつて起こったことは、すべて、いま起こっているし、将来起こることは、すべて、いま起こっている。
向かっている先が気に入らないなら、方向を変えることだ。
内側へ入っていきなさい。
内なる知恵を探ってごらん。
内なる知恵が何をしろと呼びかけているのか聞いてごらん。
すべてのものごとの完璧さに触れようと努めなさい。
どこへ進もうとも、そこは本当の自分を創造するという経験にふさわしい場所なのだ。
何事からも「のがれ」ようとしてはならない。
抵抗すると相手はますます強くなる。
将来に、あるいは「予言」された将来に悲観するひとたちは「完璧さのなか」にとどまれない。
瞬間瞬間が何をもたらすように思えても、その瞬間に喜びを見いだしなさい。
喜びがほんとうのあなたなのだから。
ひとが不完全だとい言うものに不完全なかたちで触れないように注意しなさい。
すべてに完璧さだけを見て、その平和、おだやかさ、静けさは、ひとが「マイナス」だという経験や結果をあなたから遠ざけてくれるだろう。
みんながもっている超能力とは、「第六感」なのだ。
超能力の「筋肉」を増強させるには、鍛えなければならない。
使いなさい。
毎日、使いなさい。
筋肉はあるが、小さく弱いし、活用されていない。
だから、直感は時々しか当たらないし、それに従って行動しようとしない。
何かについて「勘」がはたらいても無視する。夢を見たり「インスピレーション」を感じても注意しないで見過ごす。
あらゆる勘、あらゆる感情、あらゆる予感に注意をはらいなさい。
それから「知った」ことをもとに行動する。
不安だからと遠ざけてはいけない。
恐れもなく直感どおりに行動すればするほど、直感が役に立つようになる。
直感はつねにあるのにあなたが注意をはらっていなかっただけだ。
直感とは魂の耳だ。
魂だけが生命のほんのかすかな振動を「聞き分け」エネルギーを「感じ」波動の存在を意識して、それを解釈する繊細な道具をもっている。
あなたがたには六つの感覚がある。
臭覚、味覚、触覚、視覚、聴覚、そして知覚。
「永遠の時」には「可能性」のすべてがある。
あとは見方を選択するだけだ。
物質的宇宙に組み込まれた自然の法則のひとつが因果関係の法則だ。
自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が体験する。
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あなたがなろうとしているのは、いまのあなただ。
あなたが行き着こうとしているのは、いまのあなただ。
しかし、旅立たなければ、それが分からないのです。
ぐるっと周って、迷って、がっかりし、発見して歓喜し、様々な体験をして、はじめてわかるのです。
旅の途中の自分も、いまのままで〇なのです。
「誰でも準備ができたとき、真実へと導かれる」からです。
直感にしたがって導かれていくことです。
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各地にある神社の数は相当なものだと思います。
神社と神様のことを高次元存在のライオクが解説してくれています。
夢についても、参考にしたいメッセージがありましたので、紹介したいと思います。