朝、寝起きにウトウトした意識の中で、少し曲がりくねった森の小道のヴィジョンをみました。
自然の木々で隠れた道の先には何があるのか分からない。
景色の変化や出くわすものも見えてくるまで分からない。
人生もこの森の中の道のようだ。
何を体験するのかワクワクする自分でもいいし、恐い動物が出てくるかもしれないと恐れて進むのも自由だ。
素敵な出会いがあるかもしれない。
恐ろしい崖が見えてくるかもしれない。
自分の波動が現実になって現れるのだから、ワクワクしながら未知の探検に出かけていけばいい。
わたしは自分の好きなことをたくさんやってきたと思います。
学校の進学、進路のことで、「あっ、こっちじゃない」と感じて方向を変えることもありました。
でも、いつも両親は、わたしに賛成してくれました。
彼らの考えを押し付けることもなかったので、のびのびとわたしが「間違う自由」も与えてくれたのだと思います。
体験して分かること、体験しなければ分からないこと、すべては魂にとって間違いではなく、必要な体験で、振り返るとしみじみ、自由にさせてくれたということに感謝を感じます。
やってみたいと感じるのは、魂が体験するべきことに向かっているというサインです。
もしも、反対されたら反発すると思います。
反発を感じるのは、魂が抵抗を感じているから。
やりたくないことを強制されたら反発するのが当然ですが、弟の成長を願って挑戦させようと、わたしなりに思案して失敗したこともあります。
「何もしたくないなら、何かやりたくなるまでゆっくりしといて」という意識に切り替えたとき、弟の状態も自然に良い方向に変化していきました。
相手に自由を与えるというのは、その人の未来を信じるということなのだと思います。
どんな未来なのかは分からなくていいのです。
それぞれのハイアーセルフは知っているのですから。
今という現実界の体験をする肉体のわたしは、未来を計算し操作する能力はないのだそうです。
導く係がハイアーセルフで、体験する係が肉体次元のわたしです。
「あれっ?まちがえた。こっちじゃない。」を体験しながら「本当に体験したかったことは、これだ!」という発見をするのが人生。
自分にも他の人たちにも、その体験の自由を与えよう、と思えば愛のある心でいられると感じます。
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罪悪感を感じなくていい。
気づくことだ。
気づくことと罪悪感は違う。
警戒しなさい。
意識的でありなさい。
だが恐れてはならない。
恐れるとすくんで動けなくなる。
意識していれば動き出す。
不安と罪悪感は人間の唯一の敵だ。
神はあなたのために最高の善を選ぶが、それ以上にあなたの意志を尊重する。
これは愛の最も確かな物差しだ。
愛は自らのために何も望まない。
ただ愛する者の望みが実現するよう願うだけだ。
一見矛盾する二つの真実が同じ場所、同じ時に共存するという経験、それが人生だ。
時と場合による。
あなたは答えを知っている。
前から知っているのだ。
ただ知るという選択をしていないだけだ。
答えを知らないと信じることを選択している。
だから答えが分からない。
知っていることを知るためには、知っているかのように行動することだ。
まず、「幸せ」「知っている」「賢明だ」「優しい」という状態になりなさい。
その状態から「行為」を始める。
その結果として「所有したい」と思っていたものをもたらす。
自分が所有したいものを見つめ、それが持てたら自分はどうなるだろうと考え、そのとおりになりなさい。
自分のために選んだことをひとにしてやればいい。
幸せになろうと思うなら、ひとを幸せにしてやりなさい。
豊かであろうとするなら、ひとを豊かにしてやりなさい。
もっと愛がほしいなら、ひとを愛しなさい。
それも真剣にすること。
自分の利益の為ではなく、ほんとうにひとのためになろうと思うこと。
自分が手に入れる方便としてひとに与えると、自分が持っていないから与えるのたと、あなたの精神にはそれが分かる。
あなたは「持っていない」状態を経験し続ける。
与えようとする相手も同じ経験をする。
あなたが何かを求めているだけだ。
じつはあたえるべきものを持っていない。
あなたは引き寄せるものを押しやってしまう。
身体が何かを欲し、精神はまた別のものを求め、霊魂はさらに別のものを望むことはよくある。
それぞれの意志決定のレベルの中にも、またレベルがある。
精神 理論的なレベル
感情的なレベル
直感的なレベル
感情のレベル 悲しみ
怒り
羨望
不安
愛
悲しむことが出来るから、言いたくないときも「さよなら」が言える。
怒りは「ノー」と断るための道具だ。
羨望という自然な感情があるから、もう一度やってみたいと思う。
抑圧された羨望は嫉妬になる。
抑圧され続けた不安はパニックになる。
抑圧され続けた愛は所有欲になる。
真実は快くないことが多い。
真実を無視するまいと思う者だけが、真実に慰められる。
そのとき、真実は快いだけでなく、インスピレーションのもとになる。
人生でほんとうに大切なのは、力ではなく、強さだ。
別々でいることではなく、一体になることだ。
内なる強さは、「一体化」のなかに存在するから、別々でいると強さが消え、ひとは無力で弱いと感じる。
何者からも離れていないというつもりで行動しなさい。
低次元の喜びがあるから、高次元の喜びが経験できる。
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神様が見えるトキくんの動画です。
下記のブログから、気になるQ計画の進み具合を確認してみましょう。
未来を信じて、自分自身の心を愛と平和に設定していくことが大切。