ときどき思いついたときに、「禅語」の本を適当にパラっと開いてみるのです。
「不知最親切」しらずもっともしんせつなり
この解説を読んで、またしてもひとの思い違いにハッとさせられました。
禅問答のお話の内容
法眼和尚が行脚の旅の途中、地蔵和尚に「どこに行脚にいくつもりか」と問われて、「ただぶらぶらと行きます」と応えた。
「行脚の心はどうか」と問われると「知りません」と応えた。
地蔵和尚はこれを受けて「知らないのは、最も道に親しく切(ねんごろ)なり」と応えた。
問答の内容だけでは、まずピンとくることがないひとがほとんどだと思います。
なぞ解きのように感じます。
親切という意味が、「道に親しくねんごろである」というのですが、現代人にはこの言葉でもピンときません。
道、仏の道に近いことをするのを「親切」という。
「親切にする」ということは、相手のために何かをするというよりは、自分が「道に」近づくための、「自分が自分のために何かをする」ということなのだ。
この解説で納得しました。
やはり「自分」に戻ってくるのか~!と思いました。
ここで問答をもう一度読みたくなったと思います。
法眼和尚が行脚の旅の途中、地蔵和尚に「どこに行脚にいくつもりか」と問われて、「ただぶらぶらと行きます」と応えた。
「行脚の心はどうか」と問われると「知りません」と応えた。
地蔵和尚はこれを受けて「知らないのは、最も道に親しく切(ねんごろ)なり」と応えた。
親切のつもりが、ありがた迷惑だった、などということもあります。
相手のしてほしいことを無の状態の自分が反射的に差し出す状態、何の計算も入らずに心が一体になるような感覚が、仏の道に沿った親切なのではないかと思いました。
この場合は、こうするべき、などという世間の目を計算した親切とは違ったエネルギーの交流があるように感じます。
「自分が自分のために何かをする」という状態が、仏の道を行くものなのか、世俗の道を行くものなのか、二つの親切はどちらも自分のためになるけれど、その性質、波動がだいぶ異なるものになるのでしょう。
そして、朝の瞑想時間にネブラさんの本もパラっと開くことがあります。
すると、「ハートをオープンに、アンテナに徹していれば、必要のある情報は必要なタイミングでやってくるんだよ」という文章が目に入りました。
脳はメッセージを受け取る「アンテナシステム」があって、ハートで受け取って脳に転送されているらしい。
「ハートをオープンに」という意味は、「受信体制でアンテナに徹しなさい」ということを意味しているのだそうです。
わたしたちはついつい頭で考えてしまいます。
肉体次元の脳は、受信機でしかなく、適切な答えを出せるのは頭で考えたことではないのです。
まずは、ハートで高次のメッセージを受け取っている必要があるのです。
ハートがオープンになっていなければ、世間の雑音が受信されているようなものでしょうか。
仏の道=目覚めた高次元意識
世俗の道=眠りの物質的欲望の達成
古典的な仏教の教えと現代の宇宙的なメッセージに共通する感覚を感じました。
ハートで計算するなんてこともありません。
何かを計算するのは頭(脳)です。
頭で感じるのも難しいです。
心は言葉にならない感覚を感じることができます。
心で感じ、その感覚を肉体次元に解読するのが脳なのではないかと思いました。
何か奇跡的なことがあったという話には、いつもなんとなくこうしようかな・・・といった感覚だけで行動したというものが多いように思います。
ハートがオープンになっている状態なのかどうかを自分自身でチェックしてみるようにしたいです。
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地球と靈の世界との違いは、地球では同じことを望んでいるのに、達成する方法についてバラバラな考え方をしている。
だから同じものを求めて、てんでんばらばらな方向へ向かう。
考え方が違うので、結果が違ってくる。
これを「支える思考」という。
「支える思考」のひとつは「足りない」ということだ。
愛が充分じゃない。
お金が充分じゃない。
食べ物が充分じゃない。
衣類が、住まいが、時間が、良いアイデアが、何よりも活動するのに自分自身が充分じゃない。
この思考のせいで、「足りないもの」を獲得しようと、あらゆる戦略を弄する。
何かを得られないと信じることは、望まないのと同じだ。
超自然的なレベルに到達できるか?
到達することはできない。
ただ、そこに居ることができるだけだ。
この種の信念(完全な知識)は、獲得しようとして獲得できるものではない。
獲得しようとすればかえってできない。
「信じようと努力」したりしてはいけない。
「トータルな認識」という状態になろうとしなさい。
神は誰にも証明しようとはしない。
そんな必要はないからだ。
証明したいとも思わないし、自分に証明しようなどと考えない。
自分が選ぶものをひとに与えなさい。
それができなければ、ひとがそうなるのを助けなさい。
彼らをたたえなさい。
敬意を表しなさい。
人生、生命は未来にあるのであって、過去にはない。
これまでしてきたことは、これからすることにくらべれば、重要ではない。
これまで犯してきた過ちは、これから創造するものにくらべれば何の意味もない。
すべての過ちを赦そう。
あらゆる瞬間に知識を行動に表すことだ。
自分の知っていることに従って行動し、幻想の世界が見せるものに惑わされないことだ。
《マスター》は見せかけでは判断せず、自分の知識にしたがって行動する。
思い出す方法はもうひとつ、ひとに思い出させることだ。
自分に望むことをひとにしてやることだ。
何にせよ、しなければならないことはない。
あなたが常に自由意思で選択する。
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つねに過去を赦して、今、また新たに意識をリセットしてこれから始まる未来を望む世界にしていきましょう。
「トータルな認識」
とは、「ハートをオープンにする」のと同じ感覚なのでは?と思います。
母が亡くなって、手続き関係も少し落ち着いたところで、なんとなく、
「そうだ、自分にお休みをあげよう」と思いました。
そう思ったとき、無意識に自分自身にがんばらせているのだなと感じました。
生活費のために働かなきゃいけない、と思う人がほとんどです。
「○○が足りない」と考えるクセがあります。
「何もしなくていい」という完全なリラックスを自分に与えると、「何かしたくなったら行動に移せばいい」と思えるのです。
「困ることは無い」という信念、見えない宇宙のガイドが、行動するときを知らせてくれるという感覚が必要です。
思い返すと、約20年前に「1年間のお休み」を自分に与えました。
スピリチュアルなことを深く探求するための24時間×365日という時間を自分に許可したのです。
本当の心の解放感を味わいました。
宇宙の真理を強く知りたかった時期で、精神的に一番苦しかった頃でもあります。
そこから、ずいぶん心が自由になりました。
いま、さらに深い自由を知ることができそうな感じがします。
「○○は充分足りている」という考えに変えて、
「ハートで受信」する感覚を磨いていきたいと思います。
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今回は、歴史の真実に関する動画です。
とても興味深い内容なので、ご紹介します。
月に関してのバシャールのメッセージ動画もぜひ視聴してみてください。
★第1話 | Part 1 「月」が見せる「宇宙の神秘」
★第2話 | Part 2 「月」が導く「変身」の世界
★第3話 | Part 3 「不安定」こそ最高の「安定」である理由