境内の隅に、くるっと丸い花びらが珍しい可愛らしい形のアジサイがありました。
きのうは雑念が湧いて集中できなかったので、きょうは呼吸に注意を向けるようにしてみました。
やはり、呼吸はポータルの役目になっていると感じます。
「花が癒しの香りを漂わせるように、あなたの心の香りが漂う。
相手の心を包み込み癒すことができる。
相手の苦の体験を感じることのできる心。
その心が発する愛の香りで相手を包み込むとき、癒しの作用が起きる。」
きょうもタイサンボクの花の香りを嗅いできたところでした。
心の発している波動は自然に漂っていくので、言葉にしてもしなくても相手は感じるものがあるのでしょう。
「汝自身を知れ」について訊いてみました。
「『自分自身で在ること』とは、苦手な事、得意な事、本来の自分の個性を否定することなく認め、すべてを肯定的に表現することだ。
社会や他人から教えられた理想を基にするのではなく、魂そのものの個性で居ることだ。
出来ないことがあってもよい。
得意とすること、情熱を感じることを役立て実行していくことだ。」
「苦」を体験する人としない人、ポジティブに生きたくても難しい人がいて、良いことを引き寄せる法則を知ったとしても、魂の計画で困難な課題がやってくることについて訊いてみました。
「『苦』を体験するのは、その時代の『苦』を知ることで、他の者の心を感じることができる。
上からは救うことはできない。
苦しんでいる者の心を抱えて、一緒に上へ連れていくことができる。」
お釈迦様も「苦」の体験をしたことで、悟りに達して救うことができたのですね。
クリシュナの生まれ変わりであるお釈迦様が、なぜ最初から救いの力を発揮されなかったのかが疑問でした。
クリシュナは生まれたときから不思議な力を発揮していたので、周囲の人々の学び方が異なっていたのかもしれません。
太古の昔、高次元存在が地球人に対してそのままの姿とパワーで接したため、彼らを神として崇めてしまったので、地球人が覚醒する助けにはならなかったと言っていたのを思い出しました。
困難な問題に向き合う人生の人と、楽しい体験が多く、それほど困難を感じない人がいますが、他者を救うという課題を持った魂が、「苦」を理解し一緒に光の世界を目指すガイド役となるように、困難な課題をクリアするというステップがあるのだと思いました。
自分自身で光に向かうことができる人、それほど「苦」を体験しない人生の人が、ポジティブに考えていく引き寄せの法則を活用するだけでいいのでしょう。
救う役割を課題にした魂が、お釈迦様のように「慈悲」を生きるのだと思います。
良いことの引き寄せの法則に違和感を感じた理由が分かり、すっきりしました。
「何を選び、何を行ったとしても、『間違い』というものは無い。」
ともおっしゃっていました。
「苦」を知っている人の心が、「苦」を背負っている人を愛の香で包み、癒し、いっしょに光に向かう助けをするということです。
いますでに5次元地球に居るとも言われています。
別の場所に行くわけではない、という点を説明してくれています。
わたしがお寺で瞑想する空間意識は、5次元世界なのかもしれないとも思えます。
恐れ:信頼の欠如が原因
怒り:侵害されたと感じることから生じる
非難:自分の問題の責任が誰かにあるように思える時
瞑想によって、こうしたネガティブな感情を手放すことが容易になります。