「タイサンボク」の花の香りを嗅ぐことができました。
爽やかないい香りです。
個展や飲み会のお誘いがあり、しばらく記事を書く時間がありませんでしたが、
毎日欠かさずお寺に行っています。
深いお話ができるようになり、行かないことが想像できないくらいです。
きょうは、5日間分をまとめてお伝えしようと思います。
「心に吹く風は、まわりにも影響する。
神が起こす強風は、人々の意識を動かし、関わり合う人を通じて心を揺らす。」
直感や思考は肉体の脳が考えているのではなく、ハイアーセルフからのものだと、高次元存在たちは言っています。
現実世界の現象を通じて、その体験から知ることのできる言葉を超えた感覚があります。
お釈迦様に「中庸」について訊いてみました。
「中庸とは、良いでも悪いでもない、好きでも嫌いでもない境地。
好きでも嫌いでもあるという場はない。
嫌いなにの好きにならなくては、好きなのに好きにならないようにしなくては、と思うから心の中で闘っている。
中庸の地点で選ぶことができる。
中庸に居続けなければならないとは言っていない。
何をしにこの世に来たのか。
心の揺れの体験だ。
好きなら好きで、嫌いなら嫌いでいい。
何が自分の個性に合うのか、選ぶことのできる地点が中庸(ゼロポイント)だ。
魂が決めた計画、挑戦はやってくる。」
それぞれに魂の決めた計画によって体験する揺れが違うのだけれど、言葉を超えた感覚は体験からしか知ることができないのだと思います。
インドの聖者バグワンは、「樹の根が地獄に届くほど深く広く根をはったとき、枝葉が天国に届くほど高く成長することができる。」と言っています。
幸か不幸か、嵐を体験させられ、地獄を体験することができた人、幸か不幸か、強風くらいで地獄を体験せずにすんだ人、どちらも、いまの自分が最善で生きる選択をするとき、自分の心にどんな衣を着せるのか、中庸の視点から選ぶなら最善な選択ができるのでしょう。
「あなたという樹が大きくなり、枝葉が茂って木陰をつくり、人々を癒すくらいに成長すると、多くの人々がやって来る。」
気持ちの良さを感じるだけでいい人もいれば、深い癒しが必要な人もいます。
大きな樹でなければ、癒しきれない何かがあるのだと思います。
良いことを考えて、良い言葉を使っていれば、幸福を引き寄せる、という法則が最近薄っぺらく感じるのはわたしくらいなのでしょうか。
この点も訊いてみたいことのひとつです。
境内の梅の木に絨毯のような肌触りのコケが生えていました。
日本人が感じることのできる「わびさび」は、こんなコケが語っているように感じます。
「この世は、変化の体験を細かく観察し感じることができる。
望みが早く叶うのは楽しいが、変化の過程を味わう体験をしに来ている。」
「宇宙の視点から見れば、肉体意識を動かすために働きかけている存在がいる。
宇宙のすべての存在が関わり合って学んでいる。」
「心には、揺れる心と揺れる次元にいない二つの心がある。
揺れることのない神の心は、陰陽と中庸のすべてを含んでいる。」
様々な現象で揺れを体験し、その揺れを見守っている意識は、善も悪もすべてに無条件の愛の視線を送っているのです。
この人生でわたしなりに色々な修行をしてきました。
前世でも何か探求していたに違いないと感じます。
前世で悟ことができなかったのでしょうか、とお釈迦様に訊いてみました。
「悟って終わりではない。
転生して人々に伝えることで、さらに学びがある。」
悟った弟子たちが転生して、教えをここまで伝えられてきたのでしょう。
お釈迦様がこの世に居た時代に、わたしはお会いしたことがありますか?
「あなたも弟子だった」
ひゃ~!感激です!
いま魂で再会したということになります。
お釈迦様とお話していると最初に気づいたときに、神様とつながったとき以上に感動したのは、わたしのグルだったからなんだと思いました。
その時代もわたしは女性だったというので、名前を訊いてみると、
「オッショ」
という発音で、日本語の和尚とは違っていました。
サンスクリット語は分からないので、後で調べてみたいと思います。
不動明王様からは、
「これまでの人生の出来事は下準備だった。
これからが本番だ。」
と言われ、苦を知らずに伝えられないことがあるのだということでした。
空海さまの時代も弟子だったのだそうです。
その時代は、男性だったようです。
このお寺に縁があるのは、魂の縁なのですね。
今日で45日目になります。
気づくと、本堂に1時間くらい居るのですが、わたし自身が感じる時間は15分くらいなのです。
家で1時間座っていたら、足腰が痛くなるものですが、本堂の中だと板の間に半跏不座で座っていても、どこも痛くなりません。
しびれるということもないので、時間を忘れてしまいます。
もっとお話していたいくらいなのですが、「このへんでいいだろう」という感じで帰されます。
今では、行かないということが考えられません。
こうしたことも魂の計画に入っているのでしょうか。
揺らされる心の視点からは、これから何が起きるのか見当もつきませんが、
障害者の弟が他界するとき、わたしの役割は終わるように感じます。
神さまやお釈迦さまと空海さまと魂の会話ができることは嬉しい反面、
これまでの下準備期間で、この世の揺れに少し疲れた感じがして、ときどきこの世を卒業したくなる気持ちになります。
もしも弟がいなければ、本気で真理の探究をする気持ちは起きなかったかもしれません。
魂の計画は完璧なはずですから、これから予測されているソーラーフラッシュのイベントが起きたら、どんな意識の変化があるのか楽しみでもあります。
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参考にしたいメッセージです。
「自分であることを真に許す」
「特定の結果に固執せずに情熱を追求する」
「何が起きてもポジティブな状態を保つ」
「自分のビリーフを探求する意志」
「不要なビリーフを手放す」
「自分自身を知る」
明日は、このことについて訊いてみようと思います。