本堂の入り口に置かれた蓮の花が咲いています。
昨日はお施餓鬼法要が行われていたので、お施餓鬼の意味を調べてみました。
「餓鬼(がき)とは、生前の行いのせいで餓鬼道に落ちてしまい、成仏できぬまま食べ物を口にすることも叶わず、いつもお腹をすかせてさまよっている霊のことです。
餓鬼にはさまざまな種類がありますが、仏教の教えによれば自分の私利私欲にばかり夢中で他人に分け与える、つまり「施し(ほどこし)」をしなかったことが原因であるとされています。
お施餓鬼は、こうした餓鬼たちに救いの手を差し伸べるとともに仏の教えや生き方を改めて考え、生きている人が徳を積むための大切な法要です。」
毎朝、チンターマニストーンをチューナーで鳴らしているのですが、半年前には第二チャクラが強く刺激されていました。
3か月くらい前に第三チャクラの胃の辺りが強く力が入っていく感じで、そこで何かエネルギーが溜まっていて流れていかないような感じがしていました。
次第に上部に上がってきて、昨日は頭上を抜けた感じでした。
きのうときょうの二日間で教えていただいた内容です。
不動明王さまから
「すべては神。
こうでなければならない、ということがない。
毎瞬、神の現象を体験している。
それを意識しなさい。」
「人生に何があっても、あなたが楽しむ姿を人々に見せることである。
楽しいと感じることは人それぞれ異なっているが、自分自身が喜ぶ感覚に従うことである。
楽しめないからといって、相手を否定していることとは違う。」
これはバシャールが言っていることと共通しています。
きょうは珍しく一組の年配のご夫婦が本堂にいらして、旦那さんがいくつものお経を唱えていました。
きっとそれだけ暗記するくらいに熱心に学ばれてきたのだと思います。
お釈迦様の像の前に移動して、いつものように呼吸法を行っていても、不思議とご夫婦のことで気が散らずにお話を聞くことが出来ました。
先日教えられた「他を助けることは自らを助ける」の意味を訊きました。
「言葉というものに囚われがちだが、知っているという意識無しに伝える、徳を積むという意識無しに助けるとき、あなたは宇宙の創造主の一部となっている。
伝えられているお経は、わたしが弟子たちに語ったことであるが、お経のことばに囚われるなら真理をつかむことは難しい。」
真理を知るとき、お経も必要なくなるのでしょう。
お経を聞きながら、お釈迦様のお話を聞くことができるのはおもしろい現象でした。
空海さまから
「オセロゲームのように、すべての現象の中にある望むこととは反対の視点を知ることができるとき、意図的にあなたの望む好きな面を現実に観ることができる。」
見えるすべては何かを教えてくれている、ということですね。
挑戦という望むこととは反対の出来事の中に幸せの種をみつけ、オセロの駒をひっくり返すように、望む体験を選んでいくということなのだと思いました。
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選挙が近いですが、新地球に政府は必要ないという高次元メッセージを聞くと、どのように選ぶべきか答えを出すのに迷います。
明日は神々にこれについて訊いてみることにします。
及川さんの説明はいつも分かりやすいです。
日本のメディアからは知ることができない海外メディアの報道にも注目。
プーさんの圧勝です。
日本の政治家を操る存在でもいるのでしょうか。
どうなる?ニッポン国!