クリスマスにかわいいお人形を自分自身にプレゼントしました。
わたしの子供の頃のぷっくり丸い頬っぺがそっくりなところ、普段接している保育園児の純粋さが感じられる女の子に惹かれました。
創作人形作家:髙村とき枝さんの作品で、「妖精」ちゃんです。
座った姿勢で高さが15㎝くらいで、手足と首を動かせる着せ替え人形です。
お洋服も髙村さんの手作りで、髪の毛はシルクで植毛してあります。
80歳になる髙村さんですが、40歳までグラフィックデザイナーをされていて、その後、人形作家になられたのだそうです。
お父様は画家をされていたということんなので、生まれたときから芸術界と密接に育った環境からでしょうか、その才能を感じさせてくれる作品です。
昔からのお人形のテーマが日本の「童子」ということで、その純粋性がしっかり表現されています。
いまだに人体デッサンを描きに行き、基本の人体構造を骨組みにしているとおっしゃいます。
手足、胴体のフォームがちゃんと人体を感じさせる出来栄えです。
デザイン関係に属すると、必ず通る西洋文化があります。
すばらしい西洋芸術、堀の深いきれいな顔立ちに憧れる時期があります。
髙村さんとお話していて、やっぱり日本人であるわたしたちは、日本人の美しさ可愛らしさを追求したいということに同感しました。
なので、わたしのところにやってきた子も日本の妖精さんです。
デスクに置いてあり、毎日ながめていますが、360度、どの角度から見ても本当に可愛らしいフォームになっていて見飽きることがありません。
お人形というと怖いイメージがありましたが、髙村さんのお人形はまったく違います。
何がちがうのか不思議に思い、今日はじっくり観察してみました。
そうしたら、発見しました。
お人形と目を合わせようとしても、お人形は永遠を見ている目線なのです。
現実界のわたしと目が合いません。
まるで生まれてきた世界、アストラル界、妖精界を見ているかのように感じます。
顔を描くのは、服を着せた後、最後に描くとおっしゃっていて、「顔が命」とも言われるの意味が分かる気がしました。
ちゃんとパンツもはいています。(笑)
毎日、妖精界からエネルギーを届けてくれている存在です。
髙村さんから妖精ちゃんのポストカードをいただきました。
他の作品も素敵なもばかりで、どこか遠くを見ているこの子と妖精ちゃんで迷いました。
ストレートヘアーの姉妹のような女の子たち。
ドレスの下に見えないけど、ペチコートも履いていることに感動。
では、手帳の内容を紹介します。
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誰かを愛したとき、あなたがたは相手が自分を、自分だけを愛さなければならないと言う。
相手が他のものを愛したら嫉妬する。
愛する相手の関心を自分からそらすすべてに嫉妬する。
嫉妬は様々なかたちをとる。
様々な顔をもつ。
どれ一つとして美しくない。
幸せを左右するのは自分の外にある何かだと考えるのをやめなさい。
愛とは何かを与える代わりに得られるものだと考えるのをやめなさい。
ひとの時間やエネルギーや資源や愛を要求するのをやめなさい。
愛する者が幸福な分だけ自分の幸福が損なわれると創造するからだよ。
いつもいしょに居てくれるほうが幸福だからだ。
誰かを愛することと、その人を必要とすることとは何の関係もない。
誰かを愛し、同時に必要とすることはあっても、必要だから愛するということはない。
何かを与えてくれようとくれまいと相手自身を愛するなら、そのときは本当に相手を愛している。
高度に進化した存在になりたいなら不実はいけない。
それはうまく機能しない。
つねに真実でなくてはならない。
自分自身に真実であり、相手に真実であり、他のすべてに真実でなければならない。
自分だけを愛してくれという相手がいて、その相手以外の誰かを愛したら、それをはっきりと正直に誤解のないようにただちに告げるべきだ。
自分の真実を生きると宣言したときに不実が入り込む場所はない。
ほかの人を愛していると告げることは不実ではない。
それは誠実さだ。
誠実さは最高のかたちの愛だ。
愛し合っている当事者のすべてが、いま愛なら何をするかを決めなければならない。
あなたの真実を言わなくてはいけない。
そして、相手があなたの真実にどう対応するかによって、必要があれば相手との関係の中で何を変えるかを決めればいい。
誰かを必要としなければしないほど、そのひとたちを愛せるようになる。
相手そのものを愛すればいい。
相手に全面的な自由を認めることは、相手にどんな制約も課さないという意味だ。
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今回も濃い内容ですね。
「必要だから愛する」という勘違いから抜け出すには、自分自身が愛のエネルギーが湧き出るボルテックスだということを理解することなのだと思います。
自分自身の光の部分に気づかないときには、外側に愛を求めてしまいます。
誰かから愛をもらうことで充電できる気がしてしまいます。
「誰かを愛することと、その人を必要とすることとは何の関係もない」
愛を感じるという状態は、愛をもらったからではなく、自分自身から発せられた愛のエネルギーが現実の鏡となって映り、光が反射しているのだというイメージがしました。
愛の証拠を外側の世界で求めてしまうのは、自分が愛のエネルギーを持っていないと錯覚しているから。
お互いの愛のエネルギーが調和音となる波長であるなら、一緒にいることが心地よくなるのでしょう。
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アセンション情報です。