雨の中、鳥たちはいつもよりゆったりと眠っているようです。
公園を歩いているとすれ違うこともなく、静かな空間でした。
きょうは色々なことを学びました。
お寺の境内の樹からは、
「何かを求めているようだけれど、本当に得たいものは何だろうか」
と言われ、考えてみた。
本当にほしいもの・・・きっと心が感じること・・・
人や物質的なものを通じて感じる幸福感、満足感とかなんだろうな、と思いました。
不動明王さまのところで、飾られている漆塗りの台座に金で施された龍神様のレリーフが目に入りました。
本当に芸術品の完成度が高いものばかりです。
「『美』は、心の現れなのだ。」
仏師の尊敬や感謝の気持ちを最大限に発揮した作品は、やはり神がかっています。
神性さを形に現わした作品には、神が宿っているのだと感じます。
空気が伝達媒体なのですから、人も、その人の心の波動がまわりに響いているにちがいありません。
心が美しいことが一番です。
ご住職様方のところでは、
「『安心』しなさい。
安らかな心でいることだ。
挑戦は常にある。
挑戦は永遠にある。
安らかな心で挑戦するのだ。」
「挑戦」と聞くと、何か戦うイメージを持ってしまいますが、わたしが日々物づくりをしているとき、新しい発見を形にするという挑戦をしているわけです。挑戦をネガティブに見るのか、ポジティブに見るのかで、怖れなのか、情熱なのかの違いになるのだと思いました。
作品作りで試行錯誤するとき、時間ばかりが過ぎてしまいます。焦ってつくるのが嫌なので、呼吸を整えて、心地よい心のフォトンを飛ばせるようにしています。
大量生産された安価なものは、経済的な思考のフォトンで仕上がっているのだと思います。セカセカした人生の流れに居る人には波動が合うのかもしれません。
わたしが手に入れた芸術的な作品は、機械的な作りではないので、柄にゆがみがあるのですが、それが自然の「ゆらぎ」を感じさせるのか、飽きることがありません。
なぜか心地よさを感じるというものとの違いは、量子物理学の視点でみれば、物の中に在るフォトンの振動なのでしょう。
空海さまからは、
「人には目があり、前は見えるが、後ろは見えない。
見える世界と見えない世界がある。
樹に目は無い。
樹がどのように周囲を理解するのか、樹のように感じてみるとよい。」
今回はお題を出された感じです。
以前やったことのある「樹になる瞑想」を思い出しました。
人や動物、動く生き物には目があります。
植物にも意識があると言われています。
フォトンの違いは振動数・・・
分子、原子、電子、素粒子が揺れている音の違いを感じるということかな・・・
微細な振動を感じ取れるのかもしれません。
視覚を失った人たちが他の感覚が鋭くなるということを体験します。
見える世界とは異なる感覚を知ることができる機会なのです。
樹の瞑想をもっと深い感覚でやってみると分かることがあるのだと思いました。
ちょうど、「美の神さま」についての動画がアップされていました。
美しい人になりましょう。