頂いた珍しい種類のアジサイがとても可愛らしい形をしています。
では、さっそく今日いただいた教えをご紹介しましょう。
不動明王さまから
「心に心地よくない衣を着ている者の辛さを共感することだ。
なぜ美しい衣に着替えられないのかという目で見れば、見る方も心地よくない。
衣が美しくないことを感じているが、自分の心が着ている衣を見るのが怖いのだ。」
過去のわたしにもそういう時期がありました。
修行僧もその過程を通って、どのように着替えるのかを知るのです。
いつかは自分を見なければならない状況を宇宙がつくるのでしょう。
「そうだよな」神になってみます。
お釈迦様から
「『照見五蘊皆空 度一切苦厄』とは、外側の現象は心を揺らす道具であり、その現象に意味を与えるのが心だ。現象それ自体は何も意味を持っていない。
心が着る衣によって同じ現象をそれぞれに違った意味を与えている。
それが解れば、現象の中で苦しむことはない。」
きのうから般若心経の『照見五蘊皆空 度一切苦厄』の部分が頭の中で繰り返し浮かんでいたので、その意味が聞けてすっきりしました。
直接、お釈迦様からお話を聞けるようになるなんて、仏教関係者の間でザワザワする記事になってきました。
知人以外の人と話すときには、聖者の魂と会話をしているとでも言った方が良いのかもしれません。と言うと、「はっ、はっ、はっ」と笑っていました。
「あなたはインドまで来て探求し続けた。
心底苦しんで求め続けた。
その心がこの会話が出来るところまで来たのだ。
辛さが無ければ求めなかった。
やっかいに聞こえるお経も、なかなか知ることが出来ない知識として、神秘的に扱われたから、何千年と大切にして伝えることができたということでもある。
本気で知りたいと切望する心が無ければ、簡単な言葉でも真理を感じることはできないのだ。」
分からないから知ろうとする気持ちを生むけれど、真理を求める心の強さは人それぞれに違います。
その人の心に着ている衣に合わせて話ができる器を持つ人がグルになれるのでしょう。
空海さまに訊きました。
心の揺れをそよ風で揺らすだけにしたいと人々は言うでしょう。
「そよ風だけしか感じたことが無ければ、そよ風の本当の良さを知ることが出来ない。
強風の後でそよ風の心地よさを実感できる。
強風が森の自然を掃除するように、心の掃除である。
衣が飛ばされたり、汚れたり、壊れたりすれば、新しい衣を着ればよい。」
心に強風が吹くときに、乱れた自分の衣を見ることになるのか~。
こんなものを着ていたんだと強制的に見せられる現象が起きるということですね。
美しい衣に着替えられない人の辛さを分かってあげて、自ら心の修行をしようとしなければ、その魂と宇宙の約束で強風が吹き荒れ、着替える機会がやって来るという仕組みなんですね。
これも相手に対する「忍耐」です。
美しい衣をいくら重ね着しても、心地よくない衣を隠そうとしている限り、外側の現象に心がカチカチして、文句を言い、怒りを感じるのでしょう。
やはり第一に「汝自身を知る」です。