雨上がりで洗われたばっかりのバラの花という感じ。
ときどき遭遇するカモ親子の散歩。
ひな鳥が少し大きくなってきました。
今日の境内で不思議な光景を見ました。
一枚の葉っぱが灯篭の前で蝶々が舞っているかのように、ヒラヒラと上がったり下がったりしていました。
蜘蛛の糸でもついていて、風でヒラヒラしているのかと思って近づいてみると、一段高くなった土の上に葉先を土に付けて立ち上がっているかっこうで動いていきます。
見たことのない葉っぱの動きなので、見えない存在が歓迎してくれていると、勝手に信じることにしました。
では、きょうの教えをいただきに本堂へ。
「視力で見ようとしても真実はよく見えない。
心の視力を養うことだ。
心の目で相手を見る。
人は生まれて肉体の衣を着ている。
心の外側に色々なものを着ている。
悪人の衣でいる者、その上に善人の衣を着ている者、すべてを脱ぐとき、仏性が現れる。」
心に衣を着せていると思っていないことがほとんどです。
こんなものを着ていた!と気づくときに脱ぐことができます。
良い人でいようと誰もが思っていることでしょう。
しかし、その下に汚れたものを着ていることなど、なかなか気づきません。
「相手の真の仏性を見るには、心の視力が必要なのだ。
相手の仏性に意識で話しかけなさい。
真に教えるは、その人の仏性が導く体験から知ることができる。
人が他人にできることは、意識の池にあなたの純粋な水晶の石を落とし、できた波紋で気づきという浄化が起きる機会をつくることだ。」
高次元存在からのメッセージでも、その人のハイアーセルフやスピリチュアルガイドが導いていくのであって、他人のことをガイドしようなどと思う必要がないと言っていました。
ひたすら自分の純粋意識を追求するだけです。
相手の高次の魂に愛の波動を送ることができます。
自分の内側で結晶化した水晶の石をつくれる純粋な心にすることなんですね。
心に来ているものは、他人が脱がすことはできない。
その人自身でしか脱ぐことができないのです。
誰かの言葉にイラっときたり、気分が悪いのは誰かのせいだと思うことは、「心の汚れ」があるからです。
しかし、自分が正しいと思っていると、汚れをみつけることができません。
他人に「汚れだ」と指摘されたら、その人は怒るでしょう。
汚れだと気づくには意識の変化が必要です。
指摘されたい、という心の準備ができた人だけが聞くことができます。
別の建物に祀られている大黒様も、本堂に来てくださっているようでした。
明日も色々とご指導していただけると思います。
楽しみです。
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宇宙船が見れるときも近いのでしょうか。
空に浮かんでくるなぞの数字が気になります。