今日は少し風の強い朝でした。
草木が揺らされて木漏れ日がキラキラと光って見えます。
今日みつけたハート型の葉っぱにほっこり。
向い合せになって成長していく姿が愛らしい。
今朝は風が少し強く吹いていて、気功の「風の修練」を思い出しました。
目を閉じて、全身の細胞を風が通過していくのを感じるというもので、風で浄化、エネルギーリセットができるのです。
公園の草木も空間の不要なエネルギーを祓っているように感じます。
雨で大地へ吸収され、風で余分なものは空へ吹き飛ばしてくれているみたいです。
小道にさしている木漏れ日が、風でゆれる木々でキラキラしたやさしい光で歓迎しれくれているようでした。
さて、今日は何を教えていただけるのかと思いながら参拝しました。
空海さまの座禅姿の像の前に立つと、太極拳で立つ姿勢のように全身の関節が緩む姿勢になりながら、やさしくゆっくりとゆらゆら揺らされ始めました。
「草木は吹かれる風に、こう動こうと決めていたか?」
いま来る道で見てきた木々を思い起こしました。
自然の現象に抵抗していない。
「今」を感じ、一番抵抗のない在り方をしているだけだ。
未来を思って、「こうでなければ」「こうあるべきだ」と決めて動いているか?
わたしは分かるような、いまひとつ分かり切っていないように感じていました。
いまはっきりと分からなくとも、そのうちに、この意味が本当に分かるときがあるだろう。
帰り道、風に揺れている枝葉を見ながら、今日のお題を思い起こしてみました。
未来を考える必要はないということだろうか・・・
でも、こうなりたい、という望みはあってもいいように思う・・・
こうならなくてはいけない、という固定された考えを外すことは必要・・・
未来を信じていないから動きを計画したくなるのか?
自然は未来を宇宙に任せている。
信じ切っていれば何も心配することはなく、無意識に疑っているから未来を計算したくなるのか~。
純粋なワクワクの望みとコントロールしたいという意識の違いだろうか。
望みが叶わないかもしれないという「怖れ」があるから、未来を計算したくなるのだろう。
結局ここでも、内側深くに隠れている「怖れ」を自分でみつけることにつながる。
約20年前にインドのリシケシュで霧に包まれたガンジス河のほとりで、自分を過去に縛っていた怖れを手放せたことを思い出しました。
今もまた、これからどうなるのか分からない未来を宇宙に任せる心になる再チャレンジがやってきているのかもしれません。
今日のお題も、そのうち、腑に落ちる瞬間が来るのでしょうから、その時を宇宙におまかせしておくことにします。
明日はもう少し分かるでしょうか。
公園にあるメタセコイアとラクウショウの区別がつくようになりました。
大木がたくさんあって、公園は魂の知識を教えてもらえる図書館のようです。
ナマステ
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