朝の陽ざしが徐々に柔らかさを感じるようになってきました。
日中の暑い夏はこれから始まるような気分でいますが、日差しは陰の要素を感じます。
お寺通いも77日目になりました。
「ジャッジ」について瞑想する、という課題を与えられ、実践するというステップになったと思います。
本堂から向かって左側に少し高台になっているところがあり、弘法大師・空海さまの銅像と小さめの社があります。
四国88か所のお寺を表現した小道もあり、ここでお話を訊くこともできると思いました。
その場所に立ったとたん、風と共にピシピシ、パキパキと聞き慣れない音が響いてきました。
どうやら竹林が大きく揺れて音を立てているようで、歓迎してくれているのかな・・・と好意的に受け取りました。
「ジャッジ」について分かったことは、コントロールとつながっているということです。
自分の選ぶべきことを判断するために、あれこれ考えてしまうのは自然なことにように感じますが、直感と思考は別なのだという事がわかりました。
自我・エゴはあれこれ思うのですが、本来は高次元の魂が計画したことを体験するために現象を「受け取る」ことが自我の役割なのだと思いました。
バシャールは、エゴのことを「ダイビングマスク」だと言っています。
ゆっくりとしか動けない水中をはっきりと観察するためだけの道具なのだと表現しています。
しかし、ついついジャッジしてしまいます。
良い悪い、こうするべきだ、ああするべきだと考えてしまうのです。
最近、本堂のお花のお世話をする年配の女性と顔を合わせることがあるのですが、あまり好意的な感じがしません。
本堂の中も蒸し暑くなってきたし、早々外に出て周囲を散歩してみることにしました。
そして、弘法大師さまが祀られている祭壇をみつけました。
その女性をジャッジするのではなく、何かの合図を見せてくれているのだという視点になれば、次に出会うべき状況が展開されるのでしょう。
こちらが挨拶をしても、何も言わないし、感じ悪い人だな、などとジャッジしてしまうのです。
これがジャッジで自分の思うようにコントロールしたいという外側に向けた自分軸なんだと思いました。
ただそれを「受け取る」ことにすれば、次のステップに進めるのだと思います。
そこで、これからは瞑想は公園を歩きながらするということもできるし、本堂の他に、弘法大師さまの祭壇で次の課題を訊きたくなったときに手短に訊きに行くということにしようと思いました。
これまで教えていただいたことをもう一度感じながら、瞑想を通じて実感していこうと思います。
お寺を出た時間も早かったので、もう一度公園を少し歩きました。
「ジャッジせず受け取る」ということを想いながら自然を眺めてみると、自然界の生き物は、みんな「受け取る」ということが出来ているんだと感じました。
判定して抵抗しているのは人間だけで、自然界の生き物はジャッジしていないから癒されるのだと思います。
こうでなきゃいけないとか、こうするべきだとか、ジャッジしなければ、いつでも「いい気分」で幸せな波動の中にいることが可能です。
周囲の出来事から何かの合図を感じ取る練習が必要かもしれません。
自分自身の潜在意識にある怖れを表しているかもしれないし、次に進む別のことに意識を向けるべきだという合図かもしれません。
高次元からの合図である直感には恐れがないのです。
先に進むために必要のない「怖れ」に気づくことが課題なのか、情熱にしたがって何かを実行する合図なのかを感じ取ることができると、確実に成長できる気がします。
「受け取る」という意識は、「宇宙に任せている」ということでもあります。
知識を得るた後に、直感を受け取る、合図を見分ける実践が必要です。
明日は、わたしの感じたことを報告して、次の課題を訊いてみたいと思います。
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