きれいに鏡と化した水面。
朝の日差しは秋を感じさせ始めたのですが、7時を過ぎてくると夏を感じさせる日差しに変わります。
公園に来る人たちは日の出の頃に散歩やジョギングをして、日差しが暑くなる前に帰宅しているようでした。
こんなに毎日自然と接しているのは人生はじめての体験です。
いかに物質社会の中だけで生きてきたのかと思うほどです。
暑い時間しか知らなかったときを思い出すと、仕事に追われる中、スピリチュアルなことを探求していても、ゆったりと自分と向き合うという波動にいなかったのだなと思います。
先週、本堂でお釈迦様の前で座ったときに、両手を前に伸ばして身体を前屈した姿勢になり、「背中の怖れを払ってあげよう」と言ってくれました。
お寺を出る時に、理由なく「もう大丈夫だ」と思ったのを思い出します。
その頃、空海さまから実践課題をいただいてから、瞑想するという自分自身の内側を内観する必要があると感じて、公園で瞑想するようになったのですが、不思議とカラスと顔を合わせることがなくなりました。
汚れを取る役割のカラスさんとは、いつもどこかでわたしの目の前に現れ、姿を見ない日が無かったのですが、最近はどこか遠くでたくさんの鳴き声を聞くくらいです。
カラスたちが汚れを取ってくれていたのか、以前より汚れがなくなったのかもしれません。
きょう気づけたことは、いまとは違う苦しい想いがあった頃の自分を思い出すと、
「エゴ・自我・肉体のわたしが自分の努力で成功したり失敗したり、手に入れられたり、手に入らなかったりすると思い込んでいた」ということ。
「わたし」がやらなくてはいけない、という信念を持っていたわけです。
特にパタンナーで残業しながら働いていた頃は、「わたし」が強く働いていたので自分の人生って何だろう・・・と感じていました。
いまは、肉体の「わたし」は受信して体験するだけの意識だと分かり始めました。
体験を受け取る役割なわけです。
やっと自我が頑張るのをあきらめた感じがします。
障害者の弟の生活課題や自分自身のことを「宇宙に任せる」というのは、いまのわたしにとって「奇跡が起きる」ということにつながります。
そして、以前とは異なった感覚の感謝を感じるようになりました。
毎日乗っている自転車のタイヤが劣化してきていて、交換した方がよさそうな感じです。
「わたしを毎日運んでくれてありがとう。」という気持ちになったり、他人に対してだけでなく、まわりの物で助けられていることを意識するようになりました。
機械類にしても、なかったら苦労します。
「助けられているな~」と感じます。
暮らしの中で、食料は色々と不自由しないように多少なりとも備蓄している人が多いと思います。
だいぶ日にちが過ぎてから、「これもあったんだ」と気づくことがあります。
日々の生活の中で忘れていたわけです。
本当に必要だなと思うときに購入しようと思い、家にある食材を無駄なく使うことを意識してみました。
わたしの肉体を維持するために助けてくれているというありがたさを感じます。
「わたしを生かしてくれている」
生活の中であたりまえの感覚になっていると深い感謝を忘れてしまいます。
そう感じているところに、バシャールのメッセージ動画がおすすめに上がってきました。
感謝は「無条件の愛」を無条件に受け入れる「体勢」でいるときに起きる感情で、
感謝の波動はワクワクの情熱の波動と同じように最高の波動なのだということです。
毎瞬の感謝がとても重要だということがわかりました。
チェックしておきたい明日から始まる「ライオンズゲート」