写真は先週の公園の花壇。
きょうは4日ぶりに散歩に出かけました。
くもり空で涼しく快適に歩けました。
途中、川沿いで高齢の女性がベンチに座って脚をさすっていたので、声をかけてみました。
色々とお話をしながら、触らせてもらって少しマッサージをしてみました。
85歳とおっしゃっていましたが、見た感じはとても元気そうです。
日本全国の山へ行くほど本格的な山登りをされていたそうですが、少し前から背骨と脚に問題を抱えているのだそうです。
とても喜んでくださって、マッサージをしているときに、ジュース代にしてほしいと言って千円をわたしのバッグに入れてくださって、思いがけない出会いになりました。
明日はライオンズゲートのパワーが最大限に強くなる日ですから、体調が整っていたら、散歩に出かけて自然の波動を吸収したい日でもあります。
歩きながら、思いついたきょうの課題は「幸せは成功・地位・名誉・野心とは関係しない」ということについて、それを感じてみようと思いました。
きのうの記事に載せた銀河連邦のメッセージ動画でも話されていたように、「幸せ」は自分がコントロールできるもので、幸せな波動を表す現実が展開される、だから「ただ幸せでいる」ということ。
「幸せにしてくれるものを探している限り、自分が見逃していることを意味している」
何かの理由によって感じるなら、その理由が無くなったら幸せではなくなるわけです。
「自分自身の内側にある幸せをみつけることによって得られる」
「幸せはいまここにある」
「ただ幸せでいる」ことを阻止してきた闇の社会教育にどっぷりと浸かって生きてきたわたしたちは、いま、ものすごい転換点にいます。
メディアの情報は、何かをしなければ未来は幸せではいられない、というように外側の環境が幸せをつくると信じ込ませ、それが手に入らない怖れを感じさせるものばかりです。
「ただ幸せでいる」というシンプルなことが、こんなに難しくなっています。
難しくさせている心配と怖れから意識を切り離すという内面の気づきが必要です。
「ただ幸せでいる」ことで同じ周波数の現実が目の前に現れるというように、学校で教えていることと逆なるのです。
どうしても外側に求めてしまう意識を内側に求めて、こころが幸せの波動を保つようにする。
物質的に苦労している状況の中で実践するには、これは愚か者のように感じます。
本当かどうかを試してみるしかないのです。
「ただ幸せでいる」人が集まったら幸せな現実世界しか展開しないということになります。
「ただ幸せでいる」こととつながる「本当の自分でいる」についても知っておかなければならないと感じます。